2017年3月14日、ベネズエラの首都カラカス。銀行「バンコ・デ・ベネズエラ」の支店の外では、ATMから現金を引き出そうとする人々が列をつくっていた。ロイターの写真は場所と日付を記録している。誰かの新製品でも、数量限定の食べ物でもない。人々が順番を待っていたのは、自分の暮らしに使う紙幣だった。
当時のベネズエラでは物価が急騰し、現金の不足と決済の難しさが日常に影を落としていた。数字で表される口座残高と、手渡しで支払える紙幣は、同じ「お金」でも役割が違う。機械が現金を出せるか、どれだけ引き出せるかという条件が、買い物の前に立ちはだかった。写真からは列の人数を数えられても、並んだ一人ひとりの事情や実際の待ち時間は断定できない。
ATMは本来、窓口に並ばずに済むようにする機械だ。ところが、機械が存在することと、必要なときに現金を受け取れることは別だった。技術が待ち時間をなくすのではなく、現金の供給が追いつかなければ、待つ場所を窓口から歩道へ移すこともある。
この行列が示すのは、貧しさを珍しい風景として眺める面白さではない。自分の口座のお金を使うために、まず街角で時間を差し出さなければならないという不自由だ。誰でも経験しうる「ATMの順番待ち」が、社会の条件によって違う重さを帯びる。
ATMは自動機でも、補充される紙幣には限りがある。機械の前の列は、銀行員のいない窓口にも営業時間と在庫が存在することを露わにした。
