1991年3月、アルバニアのドゥラス港には、イタリアへ渡る船を求める人々が集まった。当時の通信社報道を掲載したロサンゼルス・タイムズは、約5,000人が港を埋め、野党幹部の推計では船が出た後も約3万人が次の機会を待っていたと伝えた。

これは整然と柵に沿う行列ではなく、出航という一つの順番を待つ巨大な群衆だった。共産主義体制末期の経済不安、食料不足、失業、政治的混乱が、海の向こうを生活の出口に見せた。兵士の警告射撃やイタリア側の受入拒否の知らせがあっても、人々は港を離れなかった。

この待機の固有性は、窓口や商品ではなく、まだ存在しない次の船を待っていた点にある。港に残った人数は移動の規模だけでなく、国内にとどまることへの不安の大きさも物語った。