1940年4月、アイオワ州ダビュークのシティ・ミッション裏手の路地に男性の列ができた。農業安定局の写真家ジョン・ヴァションの説明は、彼らが午後5時に出される食事を待っていたと明記している。
この記録には、列の目的だけでなく配膳時刻が残っている。食事は午後5時に始まるが、待つ場所は施設内の食堂ではなく外の路地だった。限られた空間と決まった開始時刻が、人々を建物の外で先着順に並ばせた。目録は人数、到着時刻、献立を示さないため、待機時間や個々の事情は推測しない。
慈善施設の食事は、用意された量だけでなく、いつ、どこで受け取れるかによって利用者の一日を組み替える。午後5時という一点へ向け、路地が一時的な待合室になった。都市の救済は建物の中だけで完結せず、その入口へ続く列も制度の一部だった。
