1950〜60年代、ソ連ノヴォシビルスクの公営住宅は待機名簿を通じて配分された。研究は、市の名簿と職場・工場の名簿が併存し、権力、必要度、資格の判断によって複数の「小列」が生まれたことを示す。

フルシチョフ期には大量建設が進み、1956〜65年に全ソ連で3800万戸が建てられた。それでも、住宅を得る順番は単純な先着順ではなかった。所属組織、家族状況、請願、人脈が順位へ作用した。ここで待つ対象は部屋そのものだけでなく、自分の必要が公的に認められる位置だった。