1999年8月30日、東ティモールの住民は、将来を決める投票に向かった。国連が支援した住民投票で問われたのは、インドネシア内での特別自治案を受け入れるかどうか。独立を直接「はい・いいえ」で選ぶ書式ではなかったが、自治案を拒否する票は独立への移行を意味した。ジョージタウン大学が保存する当時の選挙記録によれば、投票所の職員が午前4時に到着した時点で、すでに待つ人がいた。投票開始は午前6時30分。手続きより先に、人々の列が始まっていた。

首都ディリの当日報道は、登録用紙を握る人々が暑さのなかで並び、ある投票所では列が道路をふさいだと記す。高齢者に付き添う家族もいた。これは祭りの入場待ちではない。政治的暴力への恐れが残るなかで、投票に来ること自体が危険を伴い得た。投票者の個々の感情を想像で埋めることはできないが、「長い行列」を喜ばしい光景としてだけ扱うこともできない。

国連の記録では登録有権者は45万1792人。非常に高い投票率のもと、34万4580票、78.5%が特別自治案を拒否した。結果発表後には暴力と住民の避難が広がり、投票の勇気がすぐに安全へ結びついたわけではなかった。2002年の独立までには、なお過酷な時間が必要だった。

投票所の列は、民主主義がきれいな一枚の写真にならないことを教える。前に並ぶのは隣人で、背後には自分と違う考えの人がいるかもしれない。同じ入口から入り、異なる未来を選ぶ。1999年8月30日の東ティモールでは、名前を確認して投票箱に進む、ごく普通に見える順番が、普通には許されてこなかった決定を支えていた。

夜明け前の列は、投票開始時刻を待つだけではなかった。長く他者に決められてきた東ティモールの将来を、自分の票で選ぶ最初の順番だった。

東ティモールの住民投票で夜明け前から投票所へ向かった人々は、候補者を選ぶ通常選挙ではなく、将来の政治的地位を問う一票を待った。列の長さは結果を保証しないが、投票機会を自分の時間で支えた人数を可視化した。