1941年から44年のレニングラード包囲では、食堂、食料店、公衆浴場へ入る入口は事実上「列」だった。カリフォルニア大学の歴史研究は、包囲最初の年、人々が夜明け前に起きて並ぶのが日常だったと、当時の日記に基づいて記す。日記の書き手たちは列を「多頭の怪物」や「長いサナダムシ」にたとえた。配給量が生命を左右するなか、列は食事の前段階ではなく、限られた食料へ到達する制度そのものだった。ここで待機を忍耐の美談にはしない。都市を包囲して補給を断つ戦争が、市民の時間と身体を食料の列へ強制した記録である。この列の固有性は、買い物の人気ではなく、生活に必要な場所のほぼすべてで、入口が待機へ置き換えられた点にある。