1973年のサンティアゴでは、パンを手に入れるための列が町の日常になった。チリ紙El Díaが同年9月の記事を振り返った記録には、パンの割当を受ける順番を待つ人々の列へトラックが突っ込んだ事故が残る。La Terceraの歴史特集も、粉を持つパン屋では一人一日一キロに販売を制限し、夜明けから長い列ができたと伝えている。

列の背景には、物資不足、輸送の混乱、価格統制と政治対立があった。しかし列に立つ人の当面の目的は明快だった。家族が食べるマラケタやアジュージャというチリのパンを、その日の分だけ確保することである。

国家規模の危機も、生活の側から見ると一人分の順番になる。早朝から待つ人々は、政治的な立場が違っても空腹の時間を共有した。パンの列は、社会の分断と人間の同じ必要を同時に映していた。