19世紀のカルカッタ(現在のコルカタ)から鉄道に乗る人びとは、川向こうのハウラー駅でまず切符を得なければならなかった。鉄道史家アパラジタ・ムコパディヤイは、1861年と1862年のベンガル語旅行記、鉄道会社の報告、同時代新聞を突き合わせ、窓口が開くと切符をめぐる争奪が起きたことを示している。裕福で体格のよい客が前へ押し進み、賄賂を払った客が列を迂回したという記録も残る。

これは整然とした一列の物語ではない。それでも、限られた窓口で順番を待ち、時にその順序が力や金で崩されたという点で、切符を得るための物理的な待機は明白である。鉄道が距離を縮める一方、旅の入口では社会の差が見える形になった。