2020年3月、チューリヒ中心部の金販売店デグサ前に、金地金や金貨を求める長い列ができた。新型コロナウイルスの拡大で金融市場が揺れ、手元に置ける資産へ需要が集中したのである。店には通常の約30倍の注文が入り、翌日から店舗を閉めざるを得なくなった。

買い手が欲しかったのは、値動きを画面で見る金融商品ではなく、持ち帰れる金属だった。しかし欧州の精錬所は操業を止め、輸送も滞った。需要が急増した瞬間に、金は価値の象徴である以上に、製造と物流に支えられた「品物」であることを露呈した。

この列の固有性は、経済不安がきわめて物理的な待機へ変わった点にある。見えないウイルスと見えにくい市場リスクに対し、人々は重さを量れるものを買うため、店先で自分の順番を待った。