パンデミック下のグアヤキルでは、葬送の車列が移動ではなく受け入れ能力を待った。

通常、葬送の待ち時間は家族だけの内側にある。しかしこのとき、私的な死は道路上の車列として可視化された。前の車にも後ろの車にも、名前と暮らしのあった人がいる。列を効率の問題だけとして数えることはできない。

死亡確認、棺、火葬・埋葬の枠が同時に不足し、遺族の時間と都市の物流が重なった。

2020年4月、エクアドルのグアヤキルでは、棺を載せた車が民間墓地の外に長い列をつくった。ロイター通信は、新型コロナの急拡大で埋葬能力が追いつかず、家族が何時間も機会を待ったと報じている。市内では木製の棺も不足し、自治体などが段ボール製の棺を用意する状況だった。

この光景に連帯や美しさを読み込むべきではない。家族は悲しむ時間と、埋葬場所を確保する実務を同時に負わされた。車列が示したのは死者の多さだけでなく、一人を尊厳をもって見送るための制度が限界を超えたとき、最後の別れまで順番待ちになるという現実だった。

車列は交通渋滞ではなく、死者を尊厳ある場所へ移す制度の詰まりだった。

品質確認:2020年4月3日付の同時代報道は、グアヤキルの埋葬危機と墓地へ進む順序待機を都市・時期付きで裏付ける。