第二次世界大戦中のリオデジャネイロでは、乳製品を買うことが日常の小さな争奪戦になった。リオ市の歴史資料は、戦時配給によって肉と牛乳が統制され、バターはほとんど手に入らず、生活物資を得るため市民が長い列に直面したと記す。燃料も配給制となり、1942年9月1日から1944年5月17日まで灯火管制が続いた。つまり乳製品の列は、単なる品薄ではなく、輸送、輸入、燃料、都市防衛が同時に日常生活へ入り込んだ結果だった。
当時の社会保障食糧局SAPSを扱ったフルミネンセ連邦大学の研究には、「乳製品購入の列――第二次世界大戦期の配給」と題された写真記録が収められている。SAPSは労働者向け食堂や食料供給を担った機関で、配給を受け取る場所は国家の食糧政策と家庭の台所が接する窓口になった。
この列の特徴は、欲しい品を選ぶ消費者の列ではなく、供給された品を順番に確保する市民の列だったことにある。牛乳やバターの不足は献立を変えるだけではない。いつ、どこで、どれだけ買えるかという時間の管理まで家庭に課した。写真に残された人々の並びは、遠い戦場が港湾都市の朝食へ届いた経路を、配給所の前に可視化している。
