1793年のパリでは、パン屋の扉の前に朝の列ができ、春から初夏にかけてさらに長くなった。同時代資料を引く歴史記述は、2月にはすでに列があり、4月に伸び、6月には巨大になったと伝える。パンは嗜好品ではなく都市住民の主要なカロリー源で、価格と供給は政治そのものだった。

革命政府は価格統制や配給で「公正な価格」を実現しようとしたが、穀物の流通、買い占めへの疑念、紙幣価値の低下が供給を不安定にした。列の後方にいる人ほど売り切れの危険が高く、弱者や病人は長時間の待機そのものから排除される。