1972年、マニラ首都圏では米を買うための長い列ができた。後年のGMA Newsによる回顧報道で、国家食糧当局の地域責任者は、自身も当時ガソリンスタンドで米の列に並んだと証言している。悪天候、病害虫、中部ルソンの洪水で国内生産が落ち込み、政府は大量輸入によって不足を埋めようとした。道路沿いの列は、価格統計では見えにくい不足を身体の順番へ変えていた。
米はフィリピンの食卓の中心であり、購入量や販売場所の制約は家族の食事に直結する。列に加わる人は、いつ商品が尽きるか分からないまま、自分の番まで待った。後の1995年危機には政府補助米を一人3キロまでとする販売も行われ、米不足のたびに同じ仕組みが別の時代に現れたことが記録されている。
旧Candidateは1940年代の戦後配給としていたが、その年代の候補固有の列は確認できなかった。国、マニラ、米を得るための物理列という核を維持し、直接証言がある1972年の米危機へ修正した。復興期の物語を推測で残さず、確認できる人の経験を正本とした。
