20世紀初頭、カナダ西部のピース川地方へ入った入植者は、土地へ着けばすぐ自分の農場を持てたわけではない。申請にはアルバータ州グランドプレーリーのドミニオン土地局まで長い旅をしなければならなかった。サウス・ピース歴史協会が公開する地域史は、泥道沿いの小さな事務所と、土地申請を待つ男性たちの「長く辛抱強い列」を写真が伝えていると記す。順番を失わないため、列の中で一晩立ち続けたという証言も残る。
この列の向こう側にあったのは、商品ではなく、定住生活を始める法的な入口だった。当時は鉄道の先へ入植者が増え、電信線や行政機関が後から追いついていた。土地局が遠いことは、移動時間だけでなく、窓口へ着いてからの待機も生んだ。1915年にはプース・クーペ近郊の開拓者ジョージ・ソロウェイが土地代理人に任命され、のちには農場の小建物で業務を扱うようになった。
写真に写る列と徹夜の証言は、ホームステッド制度を紙の規則だけでなく、身体的な順番として伝える。土地を耕す前に、まず申請する場所へたどり着き、自分の位置を夜通し守る必要があった。
