1935年12月17日付の報道写真は、イタリア植民地下のエリトリア・アスマラで、村の泉に空のガソリン缶が一列に並ぶ様子を記録した。泉は家庭用水に使われ、缶そのものが持ち主の順番を確保していた。当時アスマラはイタリアのエチオピア侵攻を支える物資輸送の拠点となり、人口と軍需活動が急増していた。

人物ではなく容器が列をつくるため、人は待ち場所を離れても順番を残せる。燃料を運ぶための金属缶が生活用水の器へ転用され、植民地戦争の物流と住民の家事が、一本の給水列で不意に接続した。