1924年、モスクワの赤の広場には、完成した記念建築ではなく、木造のレーニン廟があった。ロシア国立記録映画写真文書アーカイブ所蔵の映像記録は、その年の廟と、内部へ入る人々、そして廟の前にできた行列を明記している。ここで人々が待ったのは、後世の観光名所ではなく、革命指導者の死がまだ現在進行形の政治的出来事だった時期の公開弔問だった。
この列の固有性は、記念の制度が建築より先に動き出していたことにある。遺体を公開し、入口を管理し、人を一人ずつ通すという手順が、木造の仮設的な外観の前ですでに成立していた。列は個々人の信条を証明しないが、大勢の身体を同じ入口へ導くことで、私的な死別を国家的な儀礼へ変える装置になった。
映像目録が確認できるのは、1924年の具体的な行列と入場である。数十年に及ぶすべての訪問者を同じ動機で説明せず、図鑑では革命直後のこの一場面に焦点を絞る。
