2002年7月末、ウルグアイ政府は銀行業務を停止した。前日に金融システムを閉じ、週の残りも銀行を開けないと発表したあとも、人々が現金を得られる可能性は完全には消えなかった。ガーディアン紙は、緊張した市民が二日続けてATMに列をつくったと報じている。銀行の扉が閉じても、壁に埋め込まれた機械の前には順番が残った。
危機は隣国アルゼンチンとブラジルの混乱から切り離せなかった。ウルグアイは安定した金融拠点と見られていたが、預金者は安全を疑い始めた。2002年の年初から記事掲載時までに、銀行預金全体の40%に当たる約60億ドルが引き出された。中央銀行は準備が危険な水準に落ちた二つの銀行の業務を停止し、政府の外貨準備も前年12月から4分の3減って7億2500万ドルになった。
ATMの列は、預金者が一斉に同じ判断をした結果である。一人にとって現金を手元へ移すことは合理的でも、その動きが重なるほど銀行の現金と準備は減り、次の人が引き出せるかどうかは不確かになる。窓口を閉鎖すれば取り付けの速度は落とせるが、不安そのものは止まらない。モンテビデオの機械前にできた列は、口座残高が数字として存在することと、紙幣を実際に受け取れることの隔たりを目に見える形にした。 政府は金融システムの停止によって時間を稼ぎ、国際的な支援を待った。だが、国の救済策が決まる時間と、家計がその日の現金を必要とする時間は一致しない。ATMの列は、その二つの時計がずれた場所でもあった。
